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治療はラセン階段のように進む

「元に戻ってしまった」

治療の過程の中で、そのような嘆きが患者さん本人や、家族から聞かれることがある。

偶発的に様々な出来事が重なり、気分の落ち込みや、依存行動、強迫症状の程度が一時的に強まることは良くある事である。

しかし、病気の症状を「良くないもの」で排除しようとする傾向にある人と、「何らかの意味があるもの」と考え、病気になったことをきっかけに以前の生活のあり方を少しでも見直そうと心掛けている人とでは、症状の再燃という出来事にも違った「匂い」を感じる。

表現するなら、前者は「抑えては爆発する」という、良い状態と悪い状態との反復運動を繰り返しているだけのように見えるが、後者は、同じことを繰り返しているように見えながらも、どことなく「前に進んだ」という印象を受けるのである。

このことを「治療はラセン階段のように進む」と表現することがある。「一周しただけのように見えながらも、実は一段上に上がったのだ。」と考えるのである。症状が再燃するごとに新たな「気付き」が生み出される。そのことがきっかけで更に自分との折り合いがつくようになり、生活をより良く送れるようになる。ラセンは上に行くほど径が小さくなり、最終的には「治まるところにおさまる」わけだ。

しかし、繰り返すことを何としてでも避けたいという人は、どうしても「良い状態を抜け出したくない」と、ある状態に留まり続けようとする。そこには「不自然な力」が働いている。やじろべえで例えるなら、良い状態の方に傾いているやじろべえを、何とかそのまま傾いた状態で居続けさせようとする力である。力尽きれば、再び「悪い状態」の方へ一気に傾く。そこで生じるのは「また失敗してしまった」「今度こそ失敗しないぞ」という自己嫌悪感と、悲壮な決意である。揺れ動く状態をただそのまま受け入れさえすれば、新たな「気付き」と共に、やじろべえも落ち着くところに落ち着くというのに・・・

もっとも、症状を取り除こうとしてもどうしても取り除けず、反復運動をすることそのものに疲れ、取り除こうとする作業そのものを「手放した」ことがきっかけで「気付き」に繋がる方も多い。その人が「手放す」ためには、これだけの繰り返しが必要だったのだろうな、と考えると、一見すると反復運動に見えた症状の繰り返しも、大きな目で見れば「ラセンを昇っていた」のかもしれないとも思う。
# by nakaizumi-mc | 2007-04-17 22:15 | お気に入りエッセイ