人気ブログランキング | 話題のタグを見る

開かれること、切り離すこと


もうだいぶ前の話になるが、成人式の後に、中学校の同級生達と飲みに行ったことがあった。居酒屋のテーブルで隣に座ったのは、クラスも違い、その時まで殆ど話を交わしたこともなかった子だった。少ないながらも重なる話題を探しつつ、それなりに話が盛り上がっていく中で、ほろ酔い加減のその子は、驚きの表情を浮かべながら「○○(私の名前)って、『勉強できない人は人間じゃない』と思っているような奴だと思っていた・・・」とつぶやいた。私は、あまりに鋭い指摘に驚き、一瞬箸を進める手が止まった。その通りだった。話を殆ど交わしたこともなかった子がそのように感じていたということは、私は知らず知らずのうちにそのような「空気」を周りに振り撒いていたのだろう。私は当時の自分を振り返って苦笑しつつも、自分が「変わってきていること」を、多少誇らしく思った。

話は現在に戻る。私の白衣についている名札の写真は、研修医時代のものである。医者になってから、小学校入学から卒業程度の日時が流れたが、小学校の頃と比べれば、顔もそんなに変化するものではないだろうと、写真も変えずにいた。そんななか、入院中の一人の患者さんと、当直中に話をする機会があった。私は、病を「やっつける」という姿勢が嫌いで、むしろそこから何かに気付くことが必要だと思っている。という今の治療のスタイルについて患者さんに語っていた。「自分から、何かを『切り離す』ことは疲れちゃったんだよ。今はむしろ、今まで切り離して置いてきぼりにしてきたものを、また拾いなおしているところかもしれない。」と、今の自分自身について話をしていると、その患者さんは私の名札を指差して「この時の先生は、まだ『切り離している』顔をしているよね。」と笑った。

その瞬間、頭の中を居酒屋の情景がよぎった。同じ感覚だった。苦々しさと、誇らしさと・・・。20歳の私、研修医の私は、今、目の前にいる患者さんと、こうやって自然に話ができるだろうか。患者さんは、表面的には親切そうに話をする私から滲み出る、どことなく「切り離そうとする」雰囲気を察知するのではないか。そんなことを考えた。

切り離して生きていくことを諦めるきっかけになったのは、腎臓を患ったことであるのは明らかだ。すでに病と向き合い、10年以上の月日が流れた。その間、病を呪い、切り離そうと試み、一方で、自分が病を患っていることを必死で「見ないように」していた。運動はしないに越したことはないという、医学的な「常識」に逆らい、大学3年時に、運動部に入りなおした。それは、病と付き合っていくという決心ではなく、自虐的な色合いの濃いものだった。自分では病を「克服した」と思いながら、運動後には自分の眼で見ても明らかな、赤褐色に濁る血尿、蛋白尿に目を奪われ、時折教科書に記載されている「5年生存率80%以上」という情報のネガティブな部分に目が向き、恐れおののく自分がいた。

今の私は、病と一緒にいることを認められている。そこから、何かを学ぼうとしている自分もいる。そして、その学ぼうとする姿勢は、どうやら私の「表情」に表れてきているらしい。

今度同じ感覚を味わうのは、いつのことだろう。
by nakaizumi-mc | 2007-04-18 21:50 | お気に入りエッセイ
<< 辛くても「外の世界」には答えを... 優れた人、豊かな人 >>