「空虚感」を満たすもの


「あのね、そういう患者さんは背伸びばっかりしていて、ちっとも身近なことをやろうとしないのよ。その子、自分の洗濯物、自分で洗ってる?まずは、そういうところから始めないとダメなのよ。」

研修医になりたての頃、外勤先のベテラン女性医師が、昼休みによくそんな話を私にしてくれた。

当時は医師として右も左もわからず苦労していた時期で、家のことよりも仕事のことばかりが頭にあった。患者さんについて、もう少し専門的な意見が欲しいのに・・・という気持ちと、その先生の患者さんに対するアドバイスが、何となく自分自身にも重なるような感じもして、複雑な思いを抱きながら話を聞いていたものだった。

しばらくして、若い世代の多くの人たちが抱えている問題として「実体験が乏しい一方で、言葉のみが氾濫していることによって起きる、慢性的な空虚感」と「その空虚感を人間関係で補おうとするために生じる、対人関係の過度なまでの繊細さ」があることを知った。

このような人達の治療として重要なのは、「言葉」ではなく「実体験」であること。そして、言葉の介入する余地の少ない実体験を多く積み重ねることによって、些細な対人関係上のトラブルで折れてしまわない「しぶとさ」を身につけることが大切であること。

そして、その「言葉の介入する余地の少ない実体験」とは、日常の家事や農作業といった「当たり前のこと」に多く含まれていることを学んだ。

そんなこともあり、最近は「料理やろう、料理。」「畑あるなら、何か育てみるといいかもよ。」といった、当たり前のことを患者さんにアドバイスすることが多くなった。結局は、その女性医師のアドバイスをそのまま日々の治療に役立てているのだった。

「あの医者は、当たり前のことしか言わん。」

患者さんの嘆きが、いつか「なるほど」という実感に変わってもらえればよいが。
by nakaizumi-mc | 2007-04-17 22:13 | お気に入りエッセイ
<< 治療はラセン階段のように進む 開院2週間 >>